神戸は元町商店街を一本南に下った東西の通りを通称「走水通(はしうどどおり)」という。
この走水通は個人商店が少ないうえ、すぐ東に神戸を代表する観光スポット・南京町(中華街)が位置しているため、スポットライトが当たることはほとんどなく、地元の人ですらあまり知らないエリアだった。
しかし、とある面白い店が誕生したことによって徐々に賑わいが広がりつつあると感じている。
その店とは「炭焼&wine 9(以下、ナイン)」である。
文字どおり炭焼きとワインが愉しめる店として2015年4月にオープン、私が初めて訪れたのは数日後の5月のことだった。
神戸の地元ネタが定期的にアップされるウェブ情報サイト「神戸経済新聞」に新規オープンの情報が掲載されており、とても気になったので、情報通の「Bec」岸本さんに知っているか尋ねたところ、「昨日行ったところですよ」と。翌日すぐにうかがったのがファーストコンタクトのいきさつだ。
以来4年間、店主の土井雄一郎さんとはお酒を酌み交わしながら、あれやこれやと料理談議に花を咲かせてきた。
余談になるが、実はナインがオープンするずっと前に土井さんの料理を頂いたことがある。
確か2009年のことだったか。
東京は代官山に「cafe HEAVEN’S」というオオバコのカフェダイニングがあった。
天然木のぬくもりが温かい店内は天井が高く開放感があって、晴れた休みの日に彼女とランチをするにはうってつけの場所だった。
加えて、こういう一見雰囲気重視のお店にしては珍しく、料理がしっかり美味かった。
メインにスープ、サラダ、ライス、ドリンクがつく1,200円のランチを初めて頂いた時のことは今でもよく覚えている。
丁寧な仕事が窺えるエンドウ豆のスープ、絶妙にミディアムレアなステーキ…この値段にしてカフェらしからぬクオリティに大いに感心した。
何とその料理を作っていたのが土井さんだったのである。
この2年後に土井さんはHEVEN’Sを辞め、地元・神戸に戻り垂水や元町のバールを経て独立開業するに至った。
しかし、ごまんとある東京の飲食店の中からHEAVEN’Sを選び、そこで料理を作っていた人と数年後、全く違う土地で出会う、いや出逢うなんて、かなり運命的ではないだろうか。
これが独身年頃の異性どうしなら結婚に発展してもおかしくないシチュエーションだろう。
さて、土井さんとの馴れ初めはこれくらいにして(余談が思いの外、長くなった)、ナインのことを詳しく紹介していきたい。
まずは、私が好きな物件情報。
ナインの物件には以前、家庭料理の店が入っていたらしいが、ナインが新規オープンするにあたって内外装をほとんど一から造りなおした。
分厚いカウンター、椅子、テーブル席、エントランスのサインボード…これらはすべて、土井さんがHEAVEN’Sのインテリアを手掛けた千葉の工房まで足を運び、特注したものだ。
仕上がりはHEAVEN’S同様、実にすっきり洗練されている。それでいて温かくどこか懐かしい雰囲気も感じるのは、やはり天然木がなせるワザ。
質感も合板とは比にならないくらいしっとりしていて、人間の肌によく馴染む。一旦腰掛けて肘をつけば、その心地良さに自然と心が落ち着いていくのが分かる。
是非一度、皆さんにもそんな感覚を味わっていただきたい。
続いては、そんなステキ空間で供される料理について。
その名に違わず、やはりメインメニューは炭焼きだ。野菜、魚、肉を焼く。
果物やもちを焼いているのは見たことがない。
炭焼き以外だと、タパス的な前菜、サラダや生ハム、パスタなどのアラカルトが常時20種類ほど並ぶ。
この点だけ見れば、ちょっと一品もできるごくごく普通の炭焼き店に過ぎないのだが、特筆すべきなのは素材へのこだわりだ。
そもそも土井さんが炭焼きを始めた理由だが、素材を一番美味しい状態でお客に提供するにはどうすべきか考え抜いた結果、シンプルな炭焼きという方法以外なかったからだという。
だからこの人、素材にこだわり、本当に美味しいものを探すことに余念がないのだ。
野菜は神戸市西区の地元野菜を使うことにしている。いや、それしか使わないと言った方がよいかもしれない。
何でも、とある生産者の作ったトマトのあまりの美味しさに感動し、そう決断するに至ったのだという。
何と極端な…いや失礼。実は神戸の野菜は「こうべ旬菜」というブランドとして全国的にも高い評価を受けており、土井さんの決断はしっかり的を射ている。
時には土井さん自らハウスまで足を運び、生産者の思いを酌み取りながらメニューを考える。
一方で「〇〇を作ってくれ」とか、生産者にご無体な要求もしているらしい(笑)。
魚は信頼する鮮魚店で自ら目利きをし、近海で獲れたものを中心に仕入れを行っている。
目利きの技術はこれまでの修業経験で培ってきたもの。本当に良いと思ったものだけ仕入れているので、仕入れは自ずと少量になってしまう。
魚の種類やその日の身の締まり方によって焼き具合を細かく調整。最後までベストな状態に仕上げることに注力する。
私の表現力不足だろうか、何だか文章にするとその凄さがうまく伝わらなくて歯痒いのだが、比較的カジュアルな炭焼き店において、こんなに素材のことを熟知し色々考えている人を私は知らない。
では、このあたりでナインの料理をいくつか紹介しよう。
まずは炭焼きを頂く前にワインのアテを何品かつまむのがこちらの基本スタイルだ。
「前菜3種盛り合わせ」。
とある日のセレクトはインカの目覚めを使ったポテトサラダ、ドライトマト、赤キャベツのマリネ。どれも本当に濃密な味わいで、野菜本来の美味さが存分に引き出されている。ひとり飲みなら3種で十分。2人なら5種を頼もう。
「セミドライトマト」。
これが先述の、土井さんを野菜鎖国させるに至らしめたトマトである。一瞬、果物かと錯覚するほどの糖度はセミドライにすることで一層際立つ。それでいて酸味もしっかり感じられ、これだけで立派な料理として成立している。まさに素材の底力を感じる一皿だ。
「9サラダ」。
店名を冠したサラダは神戸の野菜と神戸の旬の果物を組み合わせて作る。季節ごとにイチゴやイチジク、カキなどがアクセントになっていて色んな味が愉しめる。私はその季節で一番美味いものを集めた一皿と位置付けており、ナインを訪れる際には必ずオーダーすることにしている。
「チーズとイチジクとセルバチコのサラダ」。
味付けはエキストラバージンオイルに塩コショウとレモン。隠し味にハチミツ。実にイイところを突いてくる。セルバチコの苦味・辛味とイチジクの甘味を弓削牧場のフロマージュが優しくまとめている。
「ブリとアボカドのジェノベーゼタルタル バケット添え」。
目の前でバジルとマイクロトマトを刻んで作ってくれたジェノベーゼはフレッシュそのもの。やはり作り置きとは全然違う。ブリとジェノベーゼを合わせるセンスもさすが。思いつきません。
「ハモのエスカベッシュ」。
少しクリスピーに仕上がったハモにビネガーが染み、キリッとした酸味が全体をまとめている。ワインが進む味わいだ。ボトルのエチケットもエスカベッシュにコーディネートする土井さんの気遣い。さすがである。
なお、ワインは赤白を常時3種ずつ用意。
その他、ヴァンナチュールや国産ワインなども幅広く扱っているので、好みを相談してみるのもよいだろう。
時にはメニューにないオススメが出てくるのも、愉しみのひとつだ。
それではいよいよメインの炭焼きへ。
まず、「レンコン」と「白ネギ」。
レンコンは分厚くカットし、歯にまとわりつくような粘り・弾力を愉しめる。白ネギは外側が香ばしく、内側は芯の部分がすこぶる甘い。ナインの炭焼きは普段脇役の野菜が主役になるから面白い。
「シイタケ」。
このフォルムのインパクトときたら。ばえ狙いというわけではなく、エキスがこぼれ落ちないよう逆さに焼く合理的配慮と推察。結果、カサの中に染み出したエキスがオリーブオイルと混ざって出汁スープのような味わいに。うーん、滋味深い。
「サトイモ」。
想像以上にデカイ。身はホクホク、皮も香ばしくて旨い。でも個人的には身と皮のキワの部分がしっとりしていて好きだ(マニアック?)。果たしてそぼろと煮る必要があるのか…そんな問題提起をするような一皿でもある。
「菜の花」。
初めて炭焼きで菜の花を頂いたが、目から鱗だった。ひとことで言うと、非常に食べやすい。こんがり焼けた葉の部分は苦味が飛び、少しキャベツのような風味を感じさせる。茎の部分は瑞々しくて苦味と香ばしさが交錯する。個人的にはお浸しより断然こっちの方が好きだ。
「アコウ」と「オクラ」。
盛り合わせてもらった。アコウは一匹丸ごと。ずっしり締まった身は淡白で上品な味わい。大ぶりなオクラはフレッシュで、噛むと弾けるような食感が愉しめる。
魚は基本、ハーブとニンニクを詰めて焼き上げるのがナイン流。
香味が身全体に染み込むが、魚本来の旨味が損なわれることはない。
とはいえ、臨機応変、ケースバイケースでスタイルを変えることも。
「カマス」が良い例。
身が細くて香味を詰め込めないのかと思いきや、なるほど一口頂いて、繊細なカマスの持ち味を生かすにはあえて香味を使わないのかと納得。特に秋のカマスは脂が乗っていて、身そのものが旨い。塩コショウだけで十分なのだ。
ナインの炭焼きは素材の持ち味を活かすため、すべて最小限の味付けに留めているのが基本。それはイイ素材を使っているからこそ成せるワザであり、素材のことを熟知している証拠でもある。
仮に塩コショウがあまり効いていないと感じたら、それは素材の持ち味を愉しんでほしいというメッセージなのかもしれない。
以上、自分の思いをつらつら交えながらナインについて述べてきた。
オープンから4年が経ち、世にあまたとある炭焼きの店の中でも、なぜナインに通い続けているのか改めて考えてみた。
その答えは、ぶれることなく本当に良いものを追求するイイ店だからだと確信した。
店の雰囲気からすると、一見、イマドキ女子受けを狙ったおしゃれバール的な立ち位置にあると誤解されることがある。
しかし、先述のとおり、店づくりしかり料理しかり、芯の部分では決して流されることなく、本当に良いものだけを大切に守っている。
私はそのひたむきな姿勢をこれからも応援したいし、多くの人に広く理解されることを願っている。
カジュアルで間口の広い店なので、ワイン1杯とタパスだけでもよい。
是非一度、ホンモノに触れてもらいたいと思う。
[…] 元町「ナイン」の土井さんから東京・代官山にイイ店があると教えてもらったのだが、そこで料理を作っていたのが丸山さんだった。 […]