おっと、力士が来ているよ。
しかも中央の一番大柄な紋付袴は、何を隠そう第41代横綱・千代の山(相撲解説者・北の富士勝昭さんの師匠)ではないか。ちなみに、わたくし相当な相撲オタクである。昭和初期以降の幕内力士なら大体分かるほどに。
千代の山にまだ髷があるので、1959(昭和34)年までの写真と推測される。
確か新開地にある定食屋「大力」がその昔、ちゃんこ料理屋を営んでおり、千代の山が巡業で神戸を訪れていた縁から、屋号を命名したという話を聞いたことがあるが、ドンナロイヤも神戸のレパートリーに入っていたとは。なかなか興味深い。
京都旅行のようすもおさめれていた。遠くに見えるのは平安神宮だろうか。ということは、京都都ホテルのカフェテラスからか。
金閣寺を訪れたのね。私もこの角度から撮りました。
日本料理も嗜んでいたようす。正装して何だか楽しそう。
あらぁ、デレデレですな。良き良き。
こうしてみると、ジュゼッペ氏は日本の生活によく馴染み、外国人コミュニティのみならず多くの日本人とも交友関係を築いていたと推測する。そうでなければ、ドンナロイヤがこれほど皆から愛される店に発展することはなかっただろう。
おそらくこの写真から約20年後、ジュゼッペ氏は1975(昭和50)年に急逝してしまう。
残された親族は皆日本を出てしまい、現在アメリカで生活しているらしいが、後を継いだ元則さんが奮闘しドンナロイヤをさらに盛り上げ、老舗へと成長させた。
基本に大変忠実だったというジュゼッペ氏。元則さんの料理をひと口頬張れば、その教えがしっかり受け継がれていることを目の当たりにできる。
皆さんにも是非、一度体験してもらいたいと思う。
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いつも素敵な記事をありがとうございます。今回のドンナロイヤの記事も大変楽しく読ませていただきました。長い歴史の中のほんの一部分のカットではありましたが、それでもきっと間違いなく暖かい歴史のつながりなのだろうと、あなたの文章に私も少し優しい想いになりながら、想像を巡らせていました。レストランといえば、かつてはその街を彩る存在の一つであったはずです。最近は「最先端」という名の下にそのような存在を見つけることは難しくなってきました。「最先端」は流行とか斬新とかいう衣装に包まれ我々を惑わせます。しかし本質はきっと別にあるはずです。良いレストランはきっと恋愛と同じように、その店、そのシェフやマダムをもっと知りたくなりますよね! 子供に戻ったように胸を躍らせながらレストランのドアを開けるあの気持ち、、、。良いレストランないしシェフはただ美味しい食事を提供するだけではなく、顧客の人生に少しだけ違った物語を付与してくれる存在だったはずです。大切なのは「最先端」ではなく、伴侶と同じように「生涯愛せるかどうか」のはずです。美食とは本来そういうもののはずで、時に残酷ではあるけれでも極めて唯美的で、泡沫の、でも永遠の、、、矛盾と逆説的の中に存在するものと思っています。
M.Kug様
コメント、誠にありがとうございます。
拝読し、レストランとはまさにそういう場所だったなぁと、忘れかけていた感覚を取り戻したような気分になりました。
昔は今ほど店も多様ではなかったですし、ひと家族に1,2軒、お決まりの安息の場所があったような気がします。そこには常連も一見も分け隔てなく、美味しい料理と穏やかなサービスを提供してくれるシェフと給仕係が常にいたような気もします。そして誕生日や卒業など、人生のハレの日を彩ってくれるとても大切な存在でした。
しかし時が経ち、いつの間にか、一度しか訪れたことのない店をグルメサイトで酷評する心ない客、そして写真映えだけを狙った心のない料理をつくる店がごまんと溢れる世の中になってしまいました。
そう考えると何とも悲しくなりました。
ただ、そんななか、いまでも残る老舗には生涯愛してくれる客がいて、時代に流されず本質を守り続ける直向きさがあると思います。私自身、「最先端」や「話題の〇〇」に惑わされることも少なくありませんが、古き良き食の原風景を思い浮かべながら、あまり話題に上らない老舗の良さを少しでも多くの若い方に伝えることができればと思います。
M.Kug様の素敵な想い出のなかにあるお店、機会があれば教えてくださいませ。