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フレンチの巨星墜つ

フランス料理界の重鎮、「シェ・イノ」の井上旭シェフが逝去されたと。77歳の誕生日を2ヶ月後に控えての旅立ちだった。

著書「フレンチの王道 シェ・イノの流儀」(文春新書、2016年)は氏の料理人人生をレビューした自伝的内容。

フランスに行く前に読んだが、読み返しても全然飽きの来ない内容で、田舎から出てきたひとりの青年が渡仏し、今や伝説となった往年の名シェフたちと渡りあっていく過程が興味深く描かれている。

一度でイイからスペシャリテの「マリア・カラス」を頂いてみたかったが、夢叶わず。

氏のおかげで日本のフレンチのレベルが大きく底上げされたことは間違いない。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

6 Comments

  1. M.Kug M.Kug

    井上旭シェフ、鬼籍に入られたのですね。私もシェイノは未訪問です。何度も行く機会はあったのですが、今思えばとても残念です。私も「フレンチの王道」は拝読しましたが、井上シェフと言えば、料理の鉄人で助手をグーで殴っていたのが良い意味でも悪い意味でもとても印象に残っています。昔は結構そんなことありましたよね。私の行きつけだったイタリアンではフライパンが飛んでるのを見たことがあります。その行きつけのシェフは、あまから手帖9月号の門上さんのエッセイ「記憶の中の味」で懐かしく書かれています。よければ読んで見てください。私もマリアカラス食べてみたかったなあ、、、パイ包みは私も好物の一つです。神戸ならルビストロのパイ包みがお気に入りです。寒くなってきて、年が明けたらトリュフのパイ包みも美味しくなりますね。ではまた。

    • M.Kug様
      コメント、ありがとうございます。
      井上シェフのグーパンチ、私も印象に残っています!番組が用意した助手なので気の毒だなあと思った記憶が…確かお弟子さんの戦いを見守りながらワインも飲んでいらしたような(笑)。きっと豪快な方だったんでしょうね。やはりお料理は一度実食してみたかったです。
      私もパイ包みは大好物です。芦屋「シェ・モリ」で生まれて初めて頂いたパイ包みに感動し、それがきっかけでフレンチが好きになりました。「ル・ビストロ」のパイ包みは本当に素晴らしいですよね。大好きです!本格パイ包みを供する、神戸では稀有なお店だと思います。心技体が整っていないとあのボリュームを完食するのは難しい年齢になってきました…(笑)。
      行きつけのイタリアン、大変気になります。9月号、読み逃してしまいました。必ずチェックしてみます。またご報告させていただきます

  2. M.Kug M.Kug

    確かにルビストロは心技体が充実していないと大変なことになりますね(笑)。最初のモンサンミッシェルのムール貝の付け出しだけで終わってしまいかねません(笑)。料理王国12月号に井上シェフの近影が掲載されてましたが、だいぶお痩せになられて体調はあまりよろしくはなかったんですね。かつての面影はなくともただ眼光は鋭く、インタビューからも料理に対する強い矜持、自負をストレートに感じました。同じことを言っていた他の偉大なシェフを思い出してしまいました。偉大なシェフがまた1人鬼籍に入るたびに、また一つの時代が終わったのだと時の流れを感じてしまいます。若い頃は楽しいことしかなかった。私も年齢を重ねてきたからでしょうか、悲しいことが少しずつ増えてきたように思います。偉大なシェフは「忘れ去られる」ことなく「忘れられない」シェフとなり、その記憶は極めて唯美的で、泡沫の、でも永遠の、、、「もう味わうことはできない」ことは時に残酷ですが、「記憶の中の味」とはそのようなものなのかもしれませんね、、、

    • mickeater mickeater

      M.Kug様
      こんばんは。ご報告が遅くなり申し訳ありません。
      ようやっと、あまから手帖9月号の「記憶の中の味」に目を通すことができました。
      書き出しが1999年のやりとりから始まっていますが、私が料理の本当の愉しさを理解し始める少し前のことであり、当時の時代背景や関西料理界の構図が垣間見えるとても興味深いお話でした。M.Kug様行きつけのお店は平井さんの「イタロ」もしくは小塚さんの「ラ・ルーナ」でしょうか?ネットで色々調べてみましたが、小塚さんのお顔は雑誌か何かで拝見したことがあるお顔でした。お若くして亡くなられたのだとお察しします。一方で兄貴分の平井さんのお顔やお店のことはほとんど出てきませんでした。色々と調べてみたいと思いました。
      「忘れられない」シェフとは、本当にその通りだと思います。鬼籍に入られた方は勿論、飲食業界から足を洗われた方、予告もなく閉店され所在不明になられた方…再び出会いたいと思ってももう出会えない味が沢山あります。それはまさに泡沫の、しかし私の記憶の中では永遠に続くものです。だからこそ今この瞬間を大切にしっかり噛みしめながら味わっていきたいと思います。
      これからも是非、M.Kug様の食体験を共有していただけると幸いです。楽しみにしております。

  3. M.Kug M.Kug

    お返事ありがとうございました。ご指摘通り、私の行きつけだったイタリアンは故小塚博之シェフの「ラルーナ」でした。小塚さんは当時「関西イタリア料理会が誇る、孤高の名職人にして最後の巨匠」と称されるほどの存在で、実際にその通りだったと今でも思っています。「あまから手帳」の記事を読んで、小塚さんが掲載されていた専門料理、料理王国などの雑誌や書籍を読み返して、昔の記憶に触れていました。小塚さんが急逝されてから、ほとんどイタリアンは食べに行かなくなりました。音楽や文章は悲しみを表現することができますが、料理は悲しみを表現できませんね。ただ「記憶の中の味」とは、どうしても悲しみがアクセントとしてほろ苦く感じられます。かつての恋人を思い返し、「もう一度、逢いたい、、、――――」と叶わなくとも密かに思い焦がれるように、甘くも切ない大人の恋のような香りがする、誰にも知られないように心の奥底に閉じ込めた愛情のように私には感じられます。今年は突然押しかけたにも関わらず大変お世話になりました。来年も何卒よろしくお願い申し上げます。

    • M.Kug様
      お返事ありがとうございます。
      お話をうかがい、一度でよいから小塚さんのお料理を頂いてみたかったと思いました。
      M.Kug様が今もあまりイタリアンを召し上がらないというのは、本当に小塚さんのお料理に惚れ込まれていた証左ですね。
      料理は悲しみを表現することができないが、それは過去の記憶を伴って甘く儚くほろ苦いものになる…考えたこともありませんでした。
      しかし、自分自身の体験や考え方を改めて振り返ると本当にその通りだと合点がいきました。
      今は亡き祖母に連れて行ってもらったレストランで頂いたパイ包みの美味しさ、子供の頃に家族で訪れたレストランで感じたあたたかな空気感、何も予告なく閉店してしまったレストランで最後に食事をした時の満足感…等々、すべてが愉しくも、もう記憶の中でしか取り戻すことができないものに違いありません。
      そして今の私の、一食一食その瞬間を大切にしたいという考え方はその貴さを暗に理解していることに由来するものだと自己完結いたしました(笑)。
      残念ながら私自身、年末でお酒の量が増え、一食を大切にしない場が増えています。このメッセージを書きながら、来年も健康で素晴らしい瞬間に出会えるよう改心しようと思えるようになりました。
      今年は本当に多くの気付きをご恵与いただき、感謝しております。誠にありがとうございました。
      来年も引き続きよろしくお願いいたします。

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