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拝啓 岸本さん

私のiPhoneの撮影記録を見る限り、Becを訪れたのは少なくとも300回以上。今日はそんな中で得たエピソードを交えながら、少し誤解されがちな岸本さんの本当の人柄を私なりに綴りたいと思う。

(1)生い立ち

岸本さんは1975(昭和50)年9月、神戸市で生まれた。(本人曰く)イタリアンマフィアのような濃い顔立ちの御父上と、(たまたまBecのカウンターでご一緒した)おしとやかで上品な御母上によって育てられ、きょうだいは妹さんが一人いる。

彼が料理人を目指すきっかけとなった原風景は、実は幼少期の幸せな家庭環境にあった。確か小学校5年生の時に家族相手に初めて料理をふるまって皆がとても喜んでくれたことが嬉しくて、料理を作ることに目覚めたのだという。

そして将来、自分の店を持ち、そんな幸せな空間を作りたいとおぼろげながらに思っていたらしい。

高校時代は意外にも物理が得意だったという岸本さん。物理学者の道を諦め、卒業後は「料理界の東大」に進学した。

(2)修業時代

最初に就職したのは神戸・御影のフレンチ「御影ジュエンヌ」。今や重鎮の大川シェフのもとでフレンチの基礎を学び、その後、上京。有名フレンチ「シェ・トモ」の系列、広尾にあったビストロ「ラ・ピッチョリー・ドゥ・ルル」などで修業を積んだ。

懐かしの「ルル」

その後、渡仏し、職を得たのはあえてパリを外しての南のローヌ。田舎町のビストロはパリのそれとは程遠い、看板もロクに出さず照明も薄暗い飾り気のない店ばかりだったという。また、比較的イタリアとの国境に近い場所柄、パスタを提供する店も少なくなかったらしい。

ローヌの食文化や風土は岸本さんの心に深く刻まれ、Becの内外観や照明具合、メニュー構成やワインセレクトにはその影響が色濃く出ている。

(3)独立決意

渡仏して2年、引き続き修業を続ける予定だったが、御父上が病気のため急遽帰国。御父上は病気が見つかった時にはすでに手遅れの状態で、「最後の約2週間は初めて親父とじっくり語り合うことができて良かった」としみじみ語っていた。改めて家族の大切さに気付かされた岸本さん。家族がいる故郷・神戸で店を開くことを決意した。

(4)黎明期

元町トアロードの某店でサービスマンをしつつ、開店に向けた準備を始めた。そこで「ハナタニ」の花谷和宏さんとも出会っている。

しれっとスタッフの皆さんとして映り込む岸本さん

2011年5月23日に開店。当初は全くお客が来なかったようで、数少ない近所の常連が鍋を持参しパテを入れてあげたりもしていた。当時から料理は王道のビストロメニューだったが、「塩漬け豚とレンズ豆の煮込み」や「ステックフリット」、「タプナードのパスタ」など、近年とは随分違う構成だった。

あまから手帖2012年5月号より。床に置いて撮影したこの写真を気に入っていた。

(5)混乱期

私が初めて訪れたのは2012年2月。その時も店はガラガラだったが、そのわずかひと月後だろうか、食べログでBecの口コミが規定打席に到達したのか、当時の神戸フレンチランキングでいきなりのトップに躍り出た。私の記憶ではスコアが4.48くらいまで上がり、全国ランキングでもトップクラスの店となった。連日店は満席となり、中学生や外国人の行商が訪れたのは先述のとおり

瞬間最大風速の真っ只中、深夜朝方まで一人で店を切り盛りしなければならなかった岸本さん。相当な体力消耗と心労があったに違いない。

店を守るため、お客と戦わなくてはいけない場面もあった。連日店に通い女子を口説いていたオジサンや、ひどく酔っ払い岸本さんに向かって本を投げつけた女性…私が出くわしたトラブルはほんの数回だが、同じようなことはもっとたくさんあっただろう。心優しく繊細な岸本さんが初見のお客にもあえて「ストロングスタイル」を貫いたのは、混沌・混乱のなか色んなものを淘汰しないと店が成立しなくなるという危機感に駆られてのことだったと思っている。

(6)安定期

2016年頃には食べログブームがひと段落し、店は落ち着きを取り戻していた。混乱期を経てメニューも大幅に淘汰され、パテやコンフィ、牛ほほ肉煮込みなどの定番メニューだけが残ったが、いずれも食材のクオリティを上げ、結果、客単価が倍くらいになった。

この段階でBecのことが本当に好きなお客だけが残り、岸本さんが理想とするかたちの店ができあがりつつあったのではないか。それだけに最後の2年間はコロナ禍で思うように営業できない悔しさ・もどかしさがあっただろうに。残念でならない。

(7)エピソード

ここでは雑誌等には載らない、岸本さんの人物像や人柄が垣間見える細かいエピソードを綴りたい。

◎ユニフォーム:初期は赤のフレンチラコステ。後期はマリメッコのボーダーTシャツに変えていた。サーフィンを始めてからは麻でできたオフホワイトのTシャツを着ることも。Tさんという、開店当初からの大常連で、Becのことを誰よりも愛する方がいたが、フレンチラコステのうち1着はTさんによるプレゼント。また、私がマイケル・ジャクソン好きということで、訪れる際にはBAD柄のパンツを穿いてくれた。

初期ユニフォーム。何?この躍動感

◎研究熱心:自分の店を持ってからも他ジャンル研究や食べ歩きに余念がなかった岸本さん。トレンド情報ををいち早く仕入れ、定期的に東京へ、さらには1,2週間店を休んでフランスやイタリアまで足を延ばし食べ歩いていた。私と同じく、「つるてん生楽」のぶっかけそばは彼のソウルフードのひとつ。最初に話した時は確か、東京・白金台のイタリアン「ロマンティコ」の話題で盛り上がった。ちなみに「ロマンティコ」中山シェフはこの4月末、恵比寿で岸本さんと一緒に飲んだばかりだったという。

◎物理トーク:高校生時代は物理が得意科目だったという岸本さん。定期考査でも、他の成績は芳しくなくても物理だけは常に高得点で、学年7位を記録したことがあるとのこと。他のお客も交え、岸本さんが物理トークをしている最中、「確か全国模試で7位だったんですよね」と誇張して煽ってみた。ニヤリと笑い、「そうです、全国7位です」と話を続けたのには笑った。後日、また別のタイミングで物理トークをしている時は「世界7位になりました」と言って他のお客を驚かせていた。最高です。

◎レアメニュー:定番メニューが並ぶBecだが、スポットで登場する季節限定メニューなどもあった。その一部をご紹介。

第4位は「ロワール産ホワイトアスパラガス」。2~4月に登場する極太アスパラをオランデーズソースのみで頂く。甘くほろ苦い春の味わいはシンプルで感動的。

第3位は「ひつじ肉のカレー」。「みみみ堂」店主の佐野坂さんにも密かにヒアリングして作り上げた、晩年の新メニュー。辛くはないがしっかりとスパイスの風味を愉しめる、岸本さんなりの解釈が加わったマトンカレー。最後に味わうことができたのは本当に幸運だった。

第2位は「モンサンミッシェル産ムール貝」。Bec唯一の魚介メニュー。7~9月に登場した。タジン鍋で塩水だけを加えて茹で上げるが、貝は小ぶりで身がしまっていて旨さが凝縮。白ワインが止まらない麻薬的一皿。多くのお客が魚メニューをリクエストしたが、「ワンオペなんでできない」と返され(そりゃそだな)、結局実現しなかった。

そして、第1位は「岩手産ホロホロ鳥のフリカッセ」。2014年冬の1シーズンしか登場していないと思う。コンフィはよく供されていたが、特に肉厚な岩手産のものは不定期に仕入れていたため、予約制だった。「○○さん、来週ホロホロ鳥入りますけど」的な岸本さんの声掛けで注文できたレアメニュー。ココット鍋で作る、数少ないクリーム系のメインメニュー。

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3 Comments

  1. onihei onihei

    突然のコメント、失礼致します。
    私も、定期的にBecに通っており、最後に伺ったのは、今年の4月でした。
    他のお店の方に教えていただき、つい、先日、岸本さんがお亡くなりになったことを、知りました。
    亡くなったことを聞いたとき、絶句しました。
    4月に伺った際、週休3日にされているであるとか、毎朝、海岸を歩いている(それまでは、プールで泳がれていたはず、、、)といったことから、既に、お病気であったのだと、今更ながら気づきました。
    色々なお話を岸本さんとさせていただく中で、ご家族のお話、娘さんのお話を伺っておりました。
    私も、Becでデートし、妻が妊娠し、臨月に伺った時には、元気なお子さんを!と励ましていただき、子供が生まれてからは、1人で食事をしつつ、3歳になったら、連れてきていいですよ、と言っていただいておりました。
    タプナードのパスタも、本当に懐かしいです。
    何を書きたいのかよくわからないコメントになりましたが、思い出を共有させていただき、ありがとうございました。
    引き続き、ブログ、楽しみに拝見いたします。

    • mickeater mickeater

      onihei 様
      初めまして。
      コメント頂戴し、誠にありがとうございます。
      素敵なエピソードを共有いただき、重ねてありがとうございます。
      onihei様も定期的に通っていらしたとのこと、お話を拝聴する限りきっと一度はお会いしたことがあるのでは?と、他のお客さんの顔を思い浮かべていました。
      初めて訃報に接した際、私も同じく絶句してしまいました。私は転勤やコロナ禍でここ2,3年は思うように訪問することができなかったのですが、最後にお会いしたのは2021年12月末でした。
      近年は随分とスリムになられた印象がありましたが、ヨガやサーフィンをして体を絞っていると仰っていたので健康に気を付けていらっしゃるのだなと、特段気にも掛けていませんでした。
      また、お子さんの成長を嬉しそうに話され、週休3日にして一緒にピアノの練習をしたり…とワークライフバランスを保ち、今が一番幸せなんだろうなぁと他人事ながらに嬉しくお話を拝聴していました。
      それだけに今回は突然のことで、岸本さんの心中を察すると本当に胸が張り裂ける思いです。
      onihei様から伺ったエピソードは改めてイイお話だなあと思いました。
      私の書いた上記エピソードにも同様のくだりがありますが、開店当初、若き日の岸本さんであればお子様同伴は店の雰囲気を変えてしまうとして認めなかったのではないでしょうか。
      しかし、10年の歳月を経て素の自分でいられる常連さん・お客さんに恵まれ、ある意味、対峙するような姿勢を取る必要もなくなり、自らも父親となられたことで心境に大きな変化があったのだと思います。
      これからの円熟期のBecが見たかったです。
      全力で駆け抜け早々60くらいで引退されて、余生は悠々自適に海岸で一日中海を見ながら読書に耽る岸本さんの姿を勝手に想像していたのに。
      本当に寂しくなりました。
      しかしこうして今、私が面識のなかったonihei様とBecバナシで盛り上がれるのは岸本さんのお蔭ですし、新たなご縁をつくってくれたのだと思います。
      我々はBecをよく知る者として、Becのことを知らない人たちにも岸本さんというオモロイ人がいたことを語り継いでいくことが供養になると信じます。
      また楽しいエピソードを共有いただけると嬉しいです。
      長くなりましたが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

  2. 匿名 匿名

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