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神戸グルメ考(1)

私は地元・神戸のまちに広く関心をもち、素人なりに勉強してきたつもりだ。

事実、学生時代は神戸のまちがどうやって形成されてきたか、その歴史的成り立ちのについて研究し、論文を書いた。大したものではないが。

神戸のグルメについて色々と書く前に、神戸というまちのバックグラウンドを紐解き、そこからグルメの全体的な輪郭について把握しておきたいと思う。

ただ単に自分の知識をいったんここで整理しておきたいだけで(そういうとこ、理系体質なの)、完全にマスタベーションの類である。

しかし、もし興味をもって読んでいただけるとしたら幸いだ。

 

 

まず、皆さんは神戸というまちに対して、どのような都市イメージをお持ちだろう。

お決まりの風景

想像するに、「お洒落」や「洗練された」、「国際都市」、「ハイカラ」、「異国情緒豊か」といったフレーズが頭に浮かび上がってきたのではないだろうか。

これらのフレーズはすべて1868(明治元)年の神戸港の開港によってできたイメージと私は考えている。

神戸港は開港間もなく海外との貿易の中心地点として発展し、日々世界中から舶来モノの商品や文化が輸入されることにより、市民の間にはそれらを取り入れたライフスタイルが徐々に広がっていった。

似たような時期に開港した横浜や函館などの他都市においても同様の現象が起こっていたわけだが、とりわけ、神戸には「日本初の○○」というのが数多く誕生している。

例えば、コーヒー、紅茶、ラムネ、洋家具といった消耗品や生活用品が日本に初めて輸入され市民生活に浸透したのは神戸と言われている。

今では当たり前となったバレンタインデーにチョコを贈る習慣も、もとはと言えば1936(昭和11)年に神戸モロゾフ製菓が大々的なキャンペーンを実施したことが起源となっている。

スポーツの面においても意外に日本初が多い。

日本で初めてサッカーの試合が行われたのは、1872(明治5)年、神戸三宮南の東遊園地においてだそう。

また、1903(明治36)年、六甲山中にイギリス人貿易商グルームによって造成されたゴルフコースが日本で初めてのゴルフ場となった。

その他、マラソンや近代登山にサンバ、モスク、ウスターソース…等々、神戸には沢山の「日本初」が生まれているのである。

そして、「日本初」=「お洒落」、「ハイカラ」、「最先端」=「神戸、イケてる」みたいなイメージが巷に浸透し続けてきたのだと私は考える。

同時に神戸のグルメも、この「お洒落」、「ハイカラ」というイメージとともに育まれてきた。

すなわち他都市に先んじて海外から輸入された食文化が市民生活に浸透し、注目を集めてきたわけであるが、その代表格はとりわけ①「牛肉食」と②「洋食」だろう。

①「牛肉食」は言わずもがな、西洋人によってもたらされた食文化であるが、1869(明治2)年、神戸・元町6丁目の「月下亭」というお店が牛鍋を供したのが日本で初めてのことと言われている。

また、とあるイギリス人が但馬牛を食し、その美味さを絶賛したことがきっかけで、但馬牛が全国に流通するようになり、品種改良を経て、それが世界的にも評価の高い「神戸ビーフ」に出世したのである。

現在、神戸には、世界で唯一のミシュランガイド2つ星ステーキ「麤皮(あらがわ)」をはじめ、「みやす」や「カワムラ」、「モーリヤ」などの老舗から、「雪月花」、「十河」、「Ishida.」といった新興店まで、数多くのステーキ専門店が存在し、海外インバウンドを旺盛に取り込むことに成功している。

麤皮(あらがわ)

一方で、②「洋食」とは「ハヤシライス」や「オムライス」、「ビフカツ」などの日本で独自の進化を遂げた欧風料理だが、神戸には洋食文化を育むのに充分な土壌があった。

一つに、日本郵船の存在が大きかったと思う。

貿易で栄えた神戸港には日本郵船の豪華客船が日々往来し、その中には欧州航路の船旅を支える船上コックが乗り込んでいた。

船上コックは舌の肥えた外国人乗客を相手に腕を磨いたのだろう、供される料理は非常にハイレベルで、高級レストランの味にもひけを取らないとの評判だったと聞く。

その船上コックたちが神戸の陸に上がり、独立して街場で洋食店を始めたのだった。

谷崎潤一郎にも愛された「ハイウェイ」(閉店)、灘の下町密着型の「千疋屋」、南京町の老舗「伊藤グリル」、ハンター坂から西元町に移転した「グリルミヤコ」などがその代表格である。

伊藤グリル

そしてもう一つ、旧オリエンタルホテルの存在も大きい。

1870(明治3)年、旧居留地で外国人オーナーが開業した国際色豊かなホテルは素晴らしい食事を供することで一躍世界的に有名となり、神戸ビーフを取り入れた欧風料理は世界中のゲストたちから絶賛された。

その後、このホテルで研鑽を積んだコックたちが独立し、もうひとつの一大勢力を築いたのだった。

三宮の「クック・ナカタ」と県庁前の「帝武陣」(ともに閉店)はかつて同ホテルで料理長も務めた凄腕が営む店だった。また、毎日大行列ができる元町の人気店「L’Ami(ラミ)」、シチューとカレーの二刀流、西元町の「Sion(シオン)」などがその代表格。

上記2大勢力の活躍も手伝って、今も街場は沢山の洋食店で溢れており、神戸は「洋食のまち」という共通認識が生まれたのだ。

続きは次回にしたいと思う。

とりあえず、全4回シリーズでヤラせてほしい。

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