すでに皆さんご存知のこととお察しするが、フランス時間の2020年1月27日にパリで「ミシュランガイド フランス2020」が発表され、パリ1区にある小林圭シェフのフレンチレストラン「KEI」が三つ星を獲得した。
日本人シェフとしては史上初の快挙ということで連日テレビや新聞、ネットニュースでは小林シェフのインタビューが広く報道されている。
ネットでは称賛する声が多く聞かれる一方で、ポケットに手を入れながらインタビューに応じた姿がふてぶてしくて恥さらしだという批判の声もチラホラ聞かれた。
私はそのようすを見ていないが、何だかそんなことをやりそうな雰囲気はある。第一、40超えてこの、ビートたけしの「座頭市」のような金髪頭…正直私はチョット苦手だ。
けれど、やはり三つ星を取るくらいのシェフにでもなれば、それくらいのとがった自信やふてぶてしさを持ち合わせていないといけないのかもしれない。
私にも小林シェフのような強さがあればもっと人生うまくいくだろうに…。
来年40歳になったら金髪にしようかな。
なお、小林シェフの名誉のために言っておくが、惣菜店を営むご両親のインタビューを見たが、お二人とも本当に良さそうな方だった。このご両親に育てられたのだから、小林シェフはきっとイイ人なんだと思う。
さて、話が変な方向に逸れてきてしまったので、本題に入りたい。
近年、フランスのミシュランガイドでも数多くの日本人シェフが星を獲得するようになったが、そこに至るまでにどのような歴史があったのか、これまでの日本人シェフの星獲得の歴史を簡単に時系列でおさらいしてみたいと思う。
とは言ってもそんなに深い知識があるわけではないので、単なる事実の羅列になることをお許しいただきたい。
まず、日本人で最初に星を獲得したのは1979(昭和54)年のパリ「ル・ブールドネ」中村勝宏シェフ(現ホテルメトロポリタンエドモント統括名誉総料理長)だった(一つ星)。
次に、2006(平成18)年、ニース「Kei’s Passion」松嶋啓介シェフが外国人として史上最年少の28歳で星を獲得(一つ星)。
続いて、2008(平成20)年にはパリ「あい田」相田康次シェフが日本料理店として初めて星を獲得した(一つ星)。
ちなみに、相田シェフはフジテレビ「笑っていいとも!」の元4代目いいとも青年隊で神田利則の相方という異色の経歴をもつ。
そして、2011(平成23)年には、パリ「Passage 53」佐藤伸一シェフが日本人シェフとして初めての二つ星を獲得するに至った。
「Passage 53」は昨年まで9年連続で二つ星を獲得する名店だったが、佐藤シェフが新たな展開を模索。新店開店に向け、現店舗は閉店に踏み切った。
そして、2020(令和2)年、この度の「KEI」の三つ星獲得が新たに歴史に刻まれることとなったわけだ。
こうして見ると私の情報量不足も否めないが、中村シェフの初めての星獲得から松嶋シェフの外国人最年少の星獲得までの間隔が随分と開いていることが分かる。
プロ野球で言えば、中村シェフがマッシー村上で松嶋シェフが野茂英雄といったところか。
しかし、この間に何もなかったワケではあるまい。どれほどの日本人シェフの店が勃興しミシュランを獲得したのか。今後、引き続き調べてみたいと思う。
いずれにせよ、日本人シェフの実力が広く本場でも認められるようになったのは2000年代後半になってからということで間違いはなさそうだ。
海外修業やグルメブームを経て全体的な日本人シェフのレベルが向上していることが一番の要因かと思うが、かつてのような人種的ハードルが見え隠れする評価が許されない世の中になり、インバウンドを取り込む世界的風潮が生まれたことも多少は影響しているのではないか(※完全に私の主観的意見です)。
今後もフランスにおいて、日本人シェフの二つ星・三つ星レストランはどんどん増えていくことになると思う。
もちろんめでたいことではあるし引き続き注目していきたいが、一喜一憂することなく、三つ星であろうが星なしであろうが本当に美味しいと感じるものを私は愛していきたいと思う。