「これからひとりでうかがうことはできますか」
「うちは前日までの予約制なんです、すんません」
電話が切れた5分後だった。
「やっぱりやらしてもらいます。他のお客さんと同じ●円のおまかせで一斉スタートになりますが、それでよろしければ」
そんな粋な計らいとこの時頂いた料理に心と胃袋を掴まれて、しばしば訪れるようになったのが大阪・岡町「よし乃」である。
店主の内谷和人さんはかの名店、法善寺横丁「浪速割烹 㐂川」で20年にわたって修業を積み、レジェンド・上野修三氏から薫陶を受けた。
その後、独立を果たし現在の場所に店を構えたのが21年前、1999年のこと。今では豊中市内で唯一のミシュランガイド星付き料理店となった。
内谷さんが作るのは旬の素材を厳選して四季折々の美しさを表現した正統派の日本料理だが、特筆すべきは、多様な技法と丁寧な仕事で「浪速の食い味」を随所で体現しているところだ。
「浪速の食い味」とは、淡白な味付けをして素材の持ち味を活かす京料理と比較して用いられる言葉。すなわち、天下の台所と呼ばれた大阪においては、昔から全国津々浦々の商客の味覚に合わせるため、素材の持ち味を活かしつつも、良質のだしでさらに奥行きある旨味をつける調理法が実践されてきたことを意味している。
内谷さんの料理は素材の特長を見極め、だしを「合わせてる」、さらには素材を「〆る」、「寝かす」、「漬ける」といった豊富な技術でアレンジを加えることにより、口に含むと驚くほどの旨味が広がる。
加えて、コースの全体バランスがお見事。
よし乃で供されるのは値段に応じたおまかせのコース料理のみだが、一連の流れのなかで緩急が実によく計算されており、飽きの来ない構成になっている。
「よう来てくれはるお客さんを飽きさせんように」と言うとおり、コースを頂く度、その引き出しの多さとドラマチックな展開にはただただ驚かされる。
それではここでよし乃の料理を一部紹介したいと思う。
まず、椀物。
山海の幸たっぷりの沢煮椀や松茸の土瓶蒸し、蓮根饅頭の葛餡掛けなど、旬の素材をその季節に応じた食べ方で提供してくれる。
特に印象に残っているのは夏のすまし汁。
平目の霰揚げに無花果の黄身揚げとは。京料理なら平目も無花果も揚げないで供するだろう。
さっくり軽やかに揚がった平目と旬の甘い無花果が抜群の相性を発揮。大根おろし、ズッキーニと蓮芋が彩りと季節感・清涼感をプラスし、完璧なバランスだった。
次に、刺身。
焙ったもの、漬けたもの、寝かせたものなど、さまざまな技術で仕上げられた魚介が一皿に盛られることも。一方、他の皿に緩急の「急」を持ってくる場合は、少量を軽くドレッシングでサラダ仕立てにする。
春に頂いた刺身盛り合わせは秀逸だった。
焙った鯛やねっとりした歯応えの烏賊、松前漬け風の帆立など、それぞれ趣の違う味わいが何と愉しいことか。
平目の骨せんべいまで付いており(これがまた美味かった)、浪速割烹の神髄、素材を余すことなく用いる「始末の心」も垣間見ることができた。
冬に頂いた虎魚の造里もまた素晴らしかった。
この日はコースの一皿目に刺身が供されたのだが、なぜかいつもより種類・量が少ないと思っていたさなかでの刺身第2弾だった。なるほど、そういう意図があったのか。
まず見た目の美しさよ。10皿近くあるコースでただでさえ手間暇が掛かるのに、一皿にこんなにも丁寧な仕事を施してくれる内谷さんの心意気、感激します。コク深い特製おろしポン酢を付けて頂いたが、身の繊細な味わい、皮の食感、肝の旨味…いずれも抜群で冬の虎魚を一匹丸ごと堪能させてもらった。
続いて、焼き物。
旬の魚に旬の野菜をあしらったものが多いが、時に鴨ロースや鶏肉と白身魚のコンビネーションなんてのもある。例えば、この前に揚げ物があるか否かでやはり緩急がつけられているのだ。
夏に頂いた鱧は醤油ダレで焼き上げ、山椒を少々。
おこげ風のライスカナッペと浅漬けが一緒に供されたが、フレンチのような佇まいながら味はしっかり「和」。
しかしベストマッチは間違いなく白ワイン。何とも不思議で面白いが、㐂川直伝の和洋折衷のワザを体得し日頃から日本料理以外のジャンルにもアンテナを張り巡らす内谷さんだからこそ為せるワザだろう。
最後に、甘味。はったい粉の最中アイスに季節の果物が盛られ、コース構成上は確実に「緩」に当たるのだが、ここにもちょっとした感動があった。
夏に供された葡萄である。
5種類の葡萄が半個ずつ並ぶ。こうして少しずつ並べられると一つひとつが愛おしくもある。
それぞれ異なる甘味・酸味を大切に食べ比べしたくなる、何と粋な演出か。コースの〆でまたひとつ愉しい山場があった。
以上、こうして料理紹介を書いてみて思ったのは、よし乃の料理には「定番」がないということだ。
その季節、いやその瞬間に一番美味しい素材を一番美味しい食べ方でお客に食べてもらいたい…そんな内谷さんの切なる想いが変幻自在の食い味を生み出してきたのだと改めて実感した。
勿論、その裏には長年にわたる弛まぬ努力・研鑽や試行錯誤の跡があることは言うまでもなく、内谷さんの料理に対するひたむきな姿勢に敬意を表したい。
今宵はどんな食い味に出会えるのだろうか…いつもワクワクしながら暖簾を潜る自分がいる。
是非、これからも末永く愉しませてもらいたいと思う。