小さい頃からランドマーク的な位置付けだった店がなくなるのは何とも寂しいことだ。
常に日常風景の中に溶け込んでいて、自ずと「あって当たり前」という油断が生まれているので、閉店を知った際にはなおさら大きな衝撃を受ける。
近年でとりわけショックだったのが、「杏花村」の閉店。
終戦間もない1945年に創業し、長らく神戸・トアロードの一等地にて親しまれた広東料理の老舗だった。
私は小学生の時にその存在を初めて知ったのだが、無機質な外観と店内を窺い知ることができないスモークのかかった窓ガラスに「ここは何の店なのか」と好奇心を掻き立てられたものだ。
学習塾に通学する際やバスで三宮に出る際、トアロードを通るたびにこの不思議な建物が必ず目に着いた。
やがてそこが中華料理店であることを認識するのだが、初めて入店したのは随分経ってからの2006年夏。
まるでお化け屋敷にでも入るかのような、あの興奮は今でも忘れられない。
詳細は割愛するが、独特の雰囲気とあっさりとした味わいはやはり私の期待を裏切らなかった。
そんな杏花村も店は90歳近い高齢のご夫婦と息子さんの3人で営んでおられ、跡を継ぐ人はいなかった模様。
2015年頃から休業しがちになり、とうとう17年に閉店してしまった。
やがて建物は取り壊され、今では「a la ringo(あら、りんご)」という青森りんごを使ったスイーツ専門店ができている。
そして、今般同じくらいにショックだったのが、昨年12月の「グリル ロッグキャビン」(以下、「ロッグキャビン」)閉店だ。
ロッグキャビンは1950年に神戸・元町で創業した洋食店で、地元の方ならあの特徴的な緑色のテントと山小屋風の外観を一度は目にしたことがあるだろう。
ロッグキャビンも私にとっては昔から日常風景の一部だった。
幼稚園・小学生の同級生には元町商店街・神戸南京町の個人商店の子どもがたくさんいて、遊びに行くとなれば必ずこの辺りを通っていた。
そして「杏花村」同様、外から店内を窺い知ることができないスモークのかかった入口扉が私のワクワクをいざなった。
中学生の時には、弟が学習塾に行く前に親とロッグキャビンで夕食を済ませたことを聞きひどく嫉妬したが、結局入店機会がなく月日は流れていった。
ようやく食事ができたのは2012年冬だっと記憶している。
ちなみに、当時遠距離恋愛していたカノジョとである(知るかいな)。
入店してすぐ目に着くのが、高い天井に使い込まれた椅子とテーブル。そして鳩時計。店内の造りもまた山小屋風で、木々のぬくもりがいつも穏やかな気持ちにさせてくれた。
BGMはなく、食器の音と団欒の声だけが静かに優しく響いていた。
お客は近所の家族連れや年配の夫婦、老紳士お一人様などさまざまだが、ほとんどが地元の常連客。それだけ地域に根差した店だったことが分かる。
料理はデミグラスソース、タルタルソースから付け合わせの飾り切りまで、全てにおいて細かく丁寧な仕事の跡が垣間見え、何を頂いても安定感があった。
調理をしていたのは御年80前後と思われる2代目シェフの芝崎文夫さんに、その息子さんと思しき男性。
とはいえふたりはあくまで調理専門、表には出ず声を聞いたことしかなかった。
お客とのコミュニケーションはすべて、文夫さんの奥様(以下、「ママ」)が担当していた。
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